琴平神社・飯田町夏祭りの歴史 |
琴平神社祭礼は、琴平神社の御神顯揚の場として元来1月・10月の例祭のほかに、小中学生の手作りの神輿が各戸を巡り、五穀豊穣・悪疫退散を願う7月31日の夏祭りとして永く区民に親しまれてきました。
しかしながら、高度経済成長下の急転する世相に追い付けず、昭和36年を最後に中止の己むなきに至りました。 その後、成田空港の開港に伴う成田ニュータウンが造成され、その幹線道路が縦貫するにおよび飯田町も急激に変貌し、琴平神社も亦神域の一部提供を契機に、御本殿の改築をはじめ境内全域が面影を一新した。他方市の推進する「うるおいのある郷土づくり」運動に基づく夏祭りが各地で計画され、区民の中からも夏祭りの復活を望む声が高まってきました。
この様な内外の状勢を考慮した、昭和58年度飯田町区役員及び神社会役員は慎重に協議の上、子供会、青少年健全育成会、消防団等の諸団体に呼びかけ、その全面協力の下「子供神輿を中心に全区民参加の夏祭り」の復活に踏み切りました。
22年ぶりのこの決断に対する区民の反響は大きく、短期間に金445万余円也の浄財が集まり、その新調なった華麗な神輿と、神社会ご好意の太鼓山車に象徴される夏祭りが7月30・31の両日に盛大に挙行され、子供たちに大きな感銘を与えました。
昭和59年度には区役員の奔走と地域住民のご協力により、下座連の乗れる本山車型が実現、その後平成7年には3代目となる現代の山車へと変わり、さらに盛儀に華を添えました。
そして、夏祭り再開からの地域住民の皆様方の暖かいご協力により、現在では地域になくてはならない行事として毎年7月の最終土日に盛大に開催されています。
(夏祭復活記念之碑より一部抜粋)